小平のオッサンの歴史(3)
小学生になったボク
このころはまだそこまで人見知りっこでもなかったと思う。
日々遊び、公園や、砂利の月極駐車場や、お世辞にも広いとは言えない自宅前などで、野球やサッカーに興じ…
今思うと恐ろしいことをしていたもんだ。
今だからこそ白状するが、当然車にボールも当たるし、近所にあった塾の先生にはいつも「うるさい!」と怒鳴られたりしていた。
当時はおめーのほうがうるせーなー!と思ったりしたもんだが、この年になって思う…先生がすべて正しいですと。
令和の時代じゃありえないような子どもだが、当時はある種寛容な心もあったような気がするのだが、それは気のせいじゃないよな?
小学校も後半になってくると、ファミコンが登場し、その中でもディスクシステムを持っているのは、友達連中でも少なく、たまたま持っていた我が家のディスクシステムは人気だった。
その後、子ども会の野球部に入部して、野球を頑張った。
小6の時、めっちゃ弱くて、僕の記憶の限り、年間1勝しかしなかったように記憶している…時には20点以上失点して負けたような記憶も…
でも楽しいんだからオールオッケーさ!…ほんとか?
あと…残っている記憶をさかのぼると、因縁つけられたとか、多分今となっては、どうでも良い理由で、近所の小学校とけんかになったなぁ。
でも、少人数で行くはずが、噂が広まり、俺も行く!私も行く!と、男女関係なく、クラスのほぼ全員で乗り込むという謎行動に発展。
そして、市役所脇の公園で、なぜか選抜制の相撲対決が始まり、ふと気が付くと、オトナたちに発見されるというオチ。
当時の担任の先生に、こっぴどく怒られた、、、というか、普通にゲンコツ喰らった。
でも、5,6年時の担任の先生は、今振り返っても本当に良い先生で、怖いところもあるけど、子どもたちのために親身になってくれるし、子どもたちと一緒と思わせる空気感があって、本当に尊敬していた。
だから、ゲンコツ喰らっても、まぁしょうがないよねと思える信頼関係はあったように思う。
あっ、今ゲンコツとかやったらやばいですよね。
でも、お互いの信頼関係があればよいと思うんだけどなぁというのは、昭和のオッサンの発想なんだろう。
そんな小学校生活だった。